慶應通信:「文学」文章とは芸術として味わうものだった

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文学読み始めたアリサコードです。ハローです。

文学読み始めました。まだまだ最初の方ですが、11歳で無邪気に文章を愉しんでいた自分を取り戻すことができました。そう、情緒的な文章は贅沢で豊かで幸せな気持ちにさせてくれます。

社会人になって利益追求・分析提案ばかりしていた私。ここ20年、すっかり「情緒的な言葉が好きな自分」を忘れていました。もともと中学受験では国語がとても好きでした。それすっかり忘れてた、でも取り戻せたって思いました。中学受験のテスト問題はとても情緒的で美しい文章が多く、私はその問題文に魅せられていたのでした。だもんで、そりゃ理解は深く強い。ということはそれが得意になっているのは当たり前。

それすっかり忘れてたんだけど、文学の教科書読んで、まだ始めの方なのにすっかり美しく心に響く言葉たちに魅了されています。ああこんなに愉しかった、私は文章で喜んでいた。当時11歳の自分が「ね〜素敵な文章でしょ〜✨」って私にキラキラした目で言っている気がしました。そうだよね、魂が込められた情緒的な文章は、私をただの動物から人間にしてくれたんだよね、って問いかけられるような気持ちにさせてくれる文学の教科書、私は好き。

やっぱり美しい日本語は素敵。書いた人の仄暗い、しかし本物である魂を感じられます。
なんだか幸せな気分になった夜でした。まだまだ先は長いけれど、最初に文学に取りかかって幸せな気持ちになれてよかったな、と思う夜でした。



カテゴリー:慶應通信(文学部1類)

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