哲学という科目をやったから、まだその熱に浮かされているようです。
そのおかげで、今日は私の夢について、今日こそはちゃんと説明できそうなので書いておきます。
私の夢は大きく分けて二つある。
ひとつは、自分の人生の時間を、自分ができるだけ支配すること。
そのためには、私は受注仕事をなるべくしてはならない。
また健康でいなきゃいけない。
自分の家族も健康でいなきゃいけない。
進化論が示すように、私たちはゼロに近い確率で生まれ
そして育つことができ、成長した。
これはもう奇跡そのもの。
せっかくそんなゼロに近い確率で生まれてきたんだから
もっともっと生かさないと損だ。
明日で終わり!とか言われたらもうほんと泣く。
やりたいこと、行きたいところ、見たいもの、まだまだまだまだ全然ある。
私は「仕事しかしていない」と
最期のその瞬間に思うような、
そんな思い出の人生にしてはいけないと思う。
夫や家族、友人とたくさんの思い出を作らなくては。
生きている時間は短いんだ。
ところで私にとっての幸せな人生とは何かというと、
私のなかではこんな風に定義される。
1. 人生には限られた時間Pがある
2. P=(自分の心が幸せを感じた時間A+自分の心が不幸を感じた時間B)とする。
3. Aの割合が大きければ大きいほど、人は死ぬときに幸せな人生だったと満足して死ねる。
4. ところで人間は仕事をし、金を稼がなければならない。金は空気のごとく人間を生かすために必須だからである。
5. だから仕事についている時間が幸せだと感じる方がより幸福な人生になりやすい。
6.結論:ゆえに心から好きだと思える何か自分の売り物を磨いていくほうが世のためにも、自分のためにも幸せだ。
なんか哲学っぽく証明っぽくできた気がするんだけど
どうなんだろう…。
これは私が高校生くらいに考えたことなんだけど
そのときは言語化できなかった。
今なんとなくこんな風に言語化できるし資料にもできると思う。
もしこれを私が言って、今の高校生たちに何か響くものはあるかしら。
あともうひとつの夢は、
私は大人になってから勉強する人の背中を押してあげたい、ということ。これができるような人になりたい。
「だいじょうぶ、こうすればできるよ」って
背中をぽんと押してあげたい。
それによってきっと救われる魂があると思うから。
なんでそう思ったかというと、少なくとも私の魂は救われたから。
たとえば私は、あれほど心をズタズタにするような日本の就労状況に対して
私は自分しか責めていなかった。
自分が悪い。
自分がもっと頑張れなかったのが悪い。
私は給料泥棒なのだろうか。
ずっとずっと考え続け、そろそろ7年目に突入するくらいは考えていた。
こういう風な具合で、私は自責の念という亡霊を背負ってしまった。
どうにもならない苦しみだ。
今も正直こいつのすべてが怖くないといったら嘘になる。
でも社会学、哲学、法学、法制史、これをもう一度きちんと勉強して
ある種「知のトンカチ」という武器を手に入れることで
あれほど恐ろしかった過去の亡霊の姿を見る勇気を持つことができた。
恐ろしい亡霊だと思っていた彼女は、
社会学をもって診ると、大きな病巣に蝕まれていた。
哲学をもって診ると、健康そのものの人間がそこにいた。
法学をもって見ると、ただの人がそこにいた。
「過去は、変えられる」。
自分が今、どう「在る」かによって。
そして何を「知る」かによって。
現在の知覚が過去をどう捉えるかによって過去は変えることができる。
これが私にとっての「知」。
こういう感動を伝えてみたい。
卒業したらこういうことをやってみよう。
今勉強したいのに、大人だから勉強したら変な人に思われるかな…とか
やっぱり仕事も忙しいし…とか
そういう人の背中をぽんって押してあげたい。
「だいじょうぶ、できるからやってみな」って
にこって言ってあげたい。
そしたら私みたいに過去に臆病にならず
しっかりと過去の亡霊と向き合って、そいつの顔をしっかり見据えて、その上で強く未来を生きていければ
それってすごい幸せなんじゃないかと思った。
私はとくに特定の宗教に入っているわけではないけれど
ある意味こういう「知」の宗教には入っているようなことになるのかもしれない。
知という宗教は、与えてくれた情報に対して、
個人が考えること、批判すること、文句をいうことすらも許してくれる。
お前なんて全然正解じゃねーよバーカって言ってもいい、
それってすごい、すごい懐の大きい宗教なんじゃないだろうか…。
これが今の私の夢だ。
ところで、私の人生は時間を軸に動いている。
2020年3月までのスケジュールがすでに出来上がっていて
2020年度中にもしなければいけないことも、ほぼできつつある。
明日棺桶に入るかもしれないんだから
ほんとにすごい楽しい人生だった!ってありがとうって言って死にたいもんです。
それで、あっちにいる大将とか、家族とかに「こんなことがあった」「あんなところに行った」「こんな素敵な人と喋った」っていうことをずーーーっと話していきたい。
そんなことを思った日曜日の夜でした。
カテゴリー:ALISA
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