せっかく神の存在論証とその批判について言っていることが理解できたので、
本日は、神の存在論的論証とその批判カント先生バージョンいきまあす!(つまりメモです)
◼︎アンセルムス先生が述べた神の存在論証
(=俺が神様がいるってことを証明してやるよ論)
【定義】
「神」=「それよりすばらしいものが考えられないもの」を満たすもの。
【証明】1仮定→2想像上での誕生→3想像上での生育→4転→5指摘→6帰結(実在する)
1.仮定:
「神は存在しない」と仮定してみる。
2.想像上での誕生:
存在しない「神」を頭の中で考えてみることができる。
3.想像上での生育:
存在する「神」を頭の中で考えてみることができる。
4.転:
ところで存在しない「神」より、現実に存在する「神」のほうが、あきらかにすばらしい。
5.指摘:
神は「それよりすばらしいものが考えられないもの」なので存在しない「神」は定義からはずれてしまう。
6.結:
神は実在するとしか考えられない。
そらそうよ、現実にあるもののほうが想像上のものよりいいに決まってるわ。
完璧な神なら「存在している」っていう属性を持ってないと完璧な神でありえないだろって話。
(これがわからなくて何十時間も苦しんだ)
◼︎これに対するガウニロ先生(修道士)の反論。
いや、アンセルムス先生、それってもしかして「それより素晴らしいものが考えられないもの」でなくても成り立っちゃうんじゃないでしょうか…。
例えば「それ以上素晴らしいものが考えられない黄金の島」とかでもなりたっちゃうんじゃないですかね…。
◼︎ガウニロ先生に対するアンセルムス先生の回答
アンセルムス先生
「いやガウニロ先生、それは違うよ。ちゃんと君にも信仰というものがあるじゃないか。私はそれを証拠にしてみせるよ」(やべえ答えられないわ)
ガウニロ先生
「……。」(それ脅迫論…おっと誰か来たようだ)
◼︎アンセルムス先生に対するカント先生の回答
「いやーアンセルムス先生、それもう全然違うよ。
だってあなた、なんで<存在する>なんて言葉を
他の一般的な述語、たとえb<赤い>とか<綺麗だ>とかと同じように使ってるのよ。
<存在する>って言葉は他の言葉と性質が違う述語だぞ。
じゃあ俺がお前が言う存在論的論証を覆してみるから見ていろよ」
<舞台設定>(これもカント先生のうまい舞台設定だけど)
1. 舞台設定その1
アリサちゃんにとって完璧な彼氏の条件が「かっこいい」とか「金持ちだ」とかいうやつ、全部で10項目あったとして、 1項目たりない、つまり9項目まで満たしてる男性がいるとするじゃん。
そしたらまあ俺らはそいつについて考えることはできるよな。 ここではそいつを仮に「9項目OK彼氏」と名付けるよ。
2. 舞台設定その2
でも俺らが理解してるのは、 「そいつが1項目だけたりない」っていうことだけであって
その1項目が一体何なのかはわかんないよな。
だってそれについて何か情報をもらってるわけじゃねえし。
3. (覆したい仮定を書く)
<証明開始>
ところでその完璧な彼氏条件がすべて満たしてる10項目とは別に、
「存在する」っていう11項目めがあると仮に考えてみようぜ。
※ちなみに証明したいのは「存在する」という11項目めはないということ。
4. (仮定が正しいならば、当然であるはずの情報)
俺らは今、「存在する」っていう内容の11項目めを作って その9項目OK彼氏に与えるよ。
それってつまり、9項目OK彼氏に11項目めを付け加えてあげただけだよな。
5. (仮定が正しいときの当然であるはずの情報からでてくる当然の結果)
その状態って
9項目OK彼氏+11項目めの1項目
=10項目すべて持ってる
→つまり9項目OK彼氏のくせに10項目持ってる完璧彼氏だってことだよな。
6. (現実を示す)
それってでもおかしくね?
【9項目OK彼氏+11項め「存在する」=10項目OK完璧彼氏】
上記の式は現実とはちがうよな。 だってこの二つ
2番「完璧の10項目から11項目たりない彼氏」
5番「完璧の10項目から1項目たりない+11項目め<存在する>を足してあげた彼氏」
こいつらはイコールじゃなくて別物だもんな。
7.(元々の仮定自体を否定する)
なんでこんな変なことが起こるかっていうのは、 「完璧彼氏がすべて持ってる10項目とは別に、
「存在する」っていう11項目めがある」
この仮定自体が間違っているからなんだよ。
だから、9項目OK彼氏がいるって判断してるときは、
こいつに「存在する」っていう項目を付け加えているわけじゃないってこと。
※「項目」=実在性として読み替えてください。
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これが頭がガンガンいいながら自分の言葉に直した、
カントの神の存在論証の否定、
存在論的論証の否定をまとめたノートの一部。
ちなみにカント先生は信仰を捨てたわけじゃなくて
神様なんていないなんてことを言ったわけでもなくて
人間にそんな神様の存在証明なんてできねぇぞって主張しただけ。
…それにしても、これ以上カオスなノートを私はとったことがないぞ…。
ところで今気づいたんだけど、日本にキリスト教がやってきたとき、ザビエルさんが「日本人がほんとに神様はいるのか、知らなくて死んじゃった俺のじいちゃんばあちゃんには俺は死後会えないのか」とか詰め寄られて、ザビエルさんは日本人めんどくせえって思って帰国したとかなんとかいう話を聞いたような気がしたのだが…。
もしこれが本当なら、ザビエルさんはこのアンセルムス先生の神の存在論証を知らなかったということになるよね。知ってたとして、それを日本人に伝えても誰も理解できなかったから残っていないのか…?
そこらへん時間ができたら調べてみよう。
とにかく華麗なるカント先生のこの理屈。カント先生、ほんとにお見事です。すごい。
カテゴリー:ALISA
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