「見える」「見えない」の世界

ある一定以上の努力や時間をかけると「見える」か「見えない」かが判断できる。
見える時はいける、見えないときは行けない、要はこのプロジェクトはどうやったらうまく行くかしか考えていないのだが、だいたいのものは「見える」。これが私の自信の根幹だ。

見えるまで目を凝らしても「見えない」ものは残念ながらある。そういう仕事は基本的に受けない。「見えない」から引き受けてはいけないのだ。そんなものを引き受けてしまったら最悪死者すら出るのがWEBの世界。そんな暗い世界に私はチームも自分も置きたくないから受けない。

たまに新規プロジェクトを見せてもらうこともある。
大抵「見えない」。なぜか?大きな穴がそこにあるからだ。代表的なものは以下二つ。

1. わかりづらい。
実際に買う人間に「いつ役に立って、それがいくらで、こんなに簡単に使える」このどれかが欠けてる。
もうこれは全然ダメ。お前はわかるが他人はわからない。これが基本。

2. 無駄に金かかる。
イニシャルならある程度は金かかるのは仕方ない(ある程度っつってもネットビジネスでイニシャル10億とかはもう論外)。だけどランニングに金かけるのはダメ。いったいいつまでそのお金を払うんですか。年単位、3年、5年、10年…そのコスト払い終わるのいつなんだよ。継続性がないから全然ダメ。

また、たまにボランティアと夢、ビジネスを混同している輩がいる。そういうやつはすぐに距離を置くこと。とにかくそいつをそばにおいてはいけない。継続的に砂時計のようにお金と時間をすり減らして行く、とんでもないジョーカースタッフになりうるからだ。

 

だいたいこの二つに当てはまらず、しかも作り手に魅力がある場合、私は「あ、見える」と思える。そのときは本当に、成功までの道筋がすべてクリアに「見える」から、まだ現実の道筋がぼやけているCEOに現実を細部にわたって見せることができる。そして私が関わるからには必ず成功させる。

また性格的に私は人間的にはどうしようもない頑固者だが、ディレクターという仕事には向いている。こと仕事になると金にうるさい、証拠と法にうるさい、交渉にうるさい、礼儀がなってないクライアントはバッサリ切る、すべてに細かい、終わりの見えない時間にイライラする、私にしかできないっていうシチュエーションでしか燃えないという…性格だ。残念ながら。

ただディレクターとしてひとつだけいいことあるとしたら、「自分の下につく人間は必ず18時に帰す」ことを徹底するということだ。部下であろうが、お願いはきちんとして、してもらえたら「ありがとう」。それは私が人としての心を失わないために、明るいチームにするために絶対する。これが私の仕事を通しての哲学だ。これができないチームは死臭がする。そういうチームに入ったこともあるが、すでに死臭が漂っていた。これはディレクターがダメだからだ。死臭は私にもこびりついてしまった過去もあるから、余計にその臭いには敏感になった。

見える、見えないはビジネスにおいて本当に大事なこと。
これが「見える」ときは細部にわたるところまで見えるが、見えないときは何かが引っかかっていて、どこかがエラーが出ているからうまく行かないプロジェクトが多い。

とはいえ私は永遠には生きられず、寿命時計によると私の死は2064年だそうだ。ああ…ほんとに結構時間がない。この死臭を嗅ぎ分けるノウハウをできたらAI化してそいつに任せていきたい。そしたら死臭漂うようなチームが少しでもなくなる。将来的にそういうものを作っていきたいな。

 

 

 

 

 

 



カテゴリー:ALISA

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